NHKの連続ドラマ「らんまん」の主人公槙野万太郎は、「日本の植物学の父」といわれた牧野富太郎がモデル。牧野富太郎といえば、粘菌研究で知られる同時代の偉人、和歌山出身の南方熊楠を忘れてはならない。ともに実家が造り酒屋で幼いころは体が弱く、植物の研究が専門だった昭和天皇に御進講を行うなど共通エピソードがいくつかある。

 先日、子どものころに熊楠と一緒に映画を見たという人に話を聞いた。その方は日高川町上初湯川妹尾(いもお)出身の西山寛躬(よしみ)さんで、1932年(昭和7)12月生まれの90歳。現在は和歌山市に住んでおられる。

 美山村史などによると、熊楠は28年10月に妹尾集落北の国有林を訪れ、管理事務所や西山さんの家に寄宿しながら、翌年の正月まで滞在。極寒の山中で粘菌を採集し、西山さん宅では2階の部屋にこもって、浮かび上がるほど見事なクサビラ(きのこ)の絵を描いていた。

 この記録では、熊楠が妹尾に滞在したのは西山さんが生まれる4年前。しかしよく聞けば、熊楠は翌年以降もほぼ毎年、国有林を訪れ、西山さん宅に泊まっていた。映画の思い出は熊楠の最後の訪問か、西山さんが6歳の38年(昭和13)の正月だったという。

 西山さんは森林鉄道のトロッコに乗って国有林へ行き、事務所で子ども向けに上映されたアニメを熊楠と並んで観賞。「うさぎとオオカミが追いかけっこをするシーンで、熊楠先生も笑っていましたよ」と振り返る。

 マヤの古代都市のように姿を消した密林の施設で、破天荒な印象も強い熊楠が子どもたちと映画を見て笑っていた。今後、熊楠のドラマや映画が作られるなら、この微笑ましいシーンも含め、らんまんな妹尾の時間は欠かせない。(静)