6年前、上下巻同時に買って読み始めたものの、あまりに豊富で緻密な史料と読みなれない鎌倉時代の文章、その難解さに、上巻の序盤で早くもギブアップ。今年は親鸞聖人生誕850年の節目ということで、再度手に取り、なんとか最後まで読み通しました。

 定説では、浄土真宗をひらいた親鸞聖人は平安時代末期、京都の下級貴族の家に生まれ、貴族から武家の社会へと世の中が変わる混乱のなか、9歳で出家し、比叡山で20年間、厳しい修行に励みます。しかし、いつまでたっても悟りを得られず、煩悩を抱えたまま山を下り、京都の六角堂(頂法寺)に籠って95日目。夢の中に現れた聖徳太子からお告げを受け、吉水で40歳上の法然上人と出会い、ひたすら南無阿弥陀仏を称える専修念仏の教えに目を開かれました。

 天災、飢饉、戦乱が続く世にあって、南無阿弥陀仏を称えるだけで浄土に導かれるという教えは庶民から圧倒的な支持を集めます。が、その人気ゆえに批判も高まり、弾圧を受け、法然と親鸞はそれぞれ土佐、越後へ流されます。親鸞は4年後、罪を許され、関東で教えを広めながら、教行信証(顕浄土真実教行証文類)などを執筆したとされています。

 60歳ごろに京都へ戻るも、大教団のトップでありながら拠点となる寺院を持たず、唯一の収入となっていた東国門徒から送られてくる燈明料も年がたつにつれ減少。やがて経済的に困窮し、親鸞なき関東で誤った教義が広まり、それを修正するため派遣した長男善鸞の裏切りと絶縁もあり、90歳で亡くなるまで苦難の連続だったそうです。

 基本的には仏教用語だらけの史料原文、その後に意訳が続くのですが、その一つひとつが長く、抑制された物語の展開が眠気を誘います(ようするにあまり面白くないのですが…)。比叡山での修行、六角夢告、法然との邂逅、理不尽な弾圧、子弟配流など生涯の出来事が細大漏らさず記載、解説され、越後から関東へ移り、人を疑うことを知らない純粋な人々、ただ生きるために悪事を重ねている凡夫との交流が生き生きと描かれ、修験道の山伏集団に命を狙われ、超能力を持つ仲間に守られながら山を越えるシーンはスリリング。歎異抄の悪人正機説もじっくり考察されています。

 先日、京都であった特別展で親鸞自筆の教行信証(坂東本)を見ましたが、几帳面な文字と行間に書き込まれた注釈、推敲の跡を見ても、親鸞という人は非常に真面目な性格だったのでしょう。自らを煩悩にまみれた愚禿と称し、真理を求めて悩み抜きながら常に謙虚で聡明。これほど科学的で川島英五の歌のような男が鎌倉時代にいたとは…。

 この長い歴史小説も無数にある入門書の一つでしょう。私にはすっかり形骸化している通夜や法事の正信念偈も、以前より少しは眠くならなくなった気がします。あなかしこ、あなかしこ。(静)

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