石原慎太郎氏が亡くなった。石原氏と聞いて思い出すのは、亡くなった祖父のことだ。晩年祖父に「石原裕次郎みたいで、おとこまえやなぁ」というと、笑って喜んでいた。裕次郎氏の兄が慎太郎氏だ。

 世間では「暴走老人」などと言われていることもあったが、私にはしっくりこなかった。私からすれば、「誰かが言わなければならないことをはっきり言う、しっかりとした信念をもった政治家」というイメージで、悪い印象をもったことはない。

 「何もせずにどうするのか。力のあるところが手伝わなかったらしょうがない。みんな自分のことしか考えていない。日本人がダメになった証拠のひとつだ」

 これは、東日本大震災後のがれき処理を巡って、放射性物質を含んでいるかもしれないゴミを都内で処理することに反対する市民に対して発した言葉だ。

 当時は大きな批判を呼んだが、今となっては的を射た発言だったのではないかと思う。

 慎太郎氏は親米派、というイメージを持つ人も多いかもしれないが、アメリカにもモノ申す政治家だった。例えば「横田空域」問題。関東1都8県上空2400~7000㍍の空間は、大東亜戦争の敗戦後からアメリカが管制を行っていて、日本の民間航空機はこの空域を通過することが出来なかった。

 この問題にも慎太郎氏は、空域の問題を分かりやすく説明しようと模型を制作。国民に分かりやすく説明しようと躍起だった。求めていた「横田空域返還」は達成できなかったが、東京五輪を機に、一部の民間機の通過が認められた。

 しかし残念ながら、こんなにも歯に衣着せぬ物言いを出来る政治家はもう出てこないかもしれない。ご冥福をお祈りします。

(也)