平成23年5月、御坊に住む友人が東日本大震災のボランティアとして、被災地の避難所に物資を届けて回った。沿岸部のまちの惨状は想像以上。遺体を見ることはなかったが、津波で数百人の遺体が打ち上げられたという小さな湾で言葉を失った。
 あれから5年、約1800日、ざっと4万3200時間が過ぎ去った。あの日、壊れた家やがれきが散乱したままの海岸を見て、どのようなことを感じたのか。「いろんなことが頭に浮かんだのに、正直、いまとなっては思い出せない」という。
 和歌山から車で1000㌔以上も走り、自ら願って被災地に立ちながらである。が、災害にしろ、事故にしろ、病気にしろ、人間は自分の身に直接降りかからねば、いつまでも関心を強く持っていられるものではない。目の前の生活のため、忘れなければ前へ進むことができない。
 しかし、東北にはいまなお、あの日の目に焼きついた光景、耳の奥にこびりついた声を、忘れたくても忘れられない人がいる。目の前で押し寄せる津波にのまれそうな人、がれきの下から途切れとぎれに聞こえる助けを求める声。「勇気を出して手をさしのべていれば」「あのとき、眠らずに声をかけ続けていれば...」。
 家族や友人、または見知らぬ人であったにせよ、目の前で亡くなった人たちを、自分は見殺しにして生きている――。ふとした瞬間、ありもしない「人を救えた」過去の想像に襲われ、罪の意識に自分を責め、後悔を繰り返しながら、この5年間を過ごしてこられただろう。
 完全な復興はまだまだ先になるが、被災者の方にもはや恐れるものは何もない。地獄のような記憶が時間とともに少しずつ薄れ、強くなった鋼の心を持って、前進されんことを願う。 (静)