日高町観光協会内徳報会(金﨑昭仁会長)の会員らがことし9月上旬、志賀地内の遊休農地で種をまいたそばが育ち、24日には約40㌔分の実を初収穫した。江戸時代の念仏行者・徳本上人(1758~1818年)ゆかりのそばで、上人の偉業を広く知ってもらうのが目的。栽培は試行錯誤の段階だが、今回、一定の収穫量が確保できたことで、そばを活用した産品開発に一層弾みがつきそうだ。
 そばを栽培したのは、徳本上人の生誕の地である志賀の久志地内、徳報会会員所有の農地300坪(1反、990平方㍍)。種をまいたあと、順調に育って9月下旬から10月中旬ごろまで花が咲き、実をつけて収穫時期を迎えた。雨で種をまく時期が遅れたことや、比較的暖かい町内での栽培がうまくいくのか不安もあったが、予定していた収穫量約60㌔分のうち6、7割に当たる40㌔分が確保でき、メンバーらは「種まきから約80日で収穫できることが分かった」などと、栽培に手応えを感じている。
 収穫は、種をまいた志賀小学校6年生25人も体験。鎌を手に一束一束、丁寧に刈り取っていった。今後、1週間から10日程度で干して乾燥させたあと、実を取ってそば粉にする。12月中には再び小学生を対象にそば打ち体験も企画。深海響輝君は「厳しい修行をした徳本上人はすごい人だと思います。自分たちが種をまいたそばを食べるのが楽しみです」と話していた。
 そば栽培は、平成29年10月1日の徳本上人200回忌法要に向けた取り組みの一環。かつて徳本上人と信州を旅した俳人小林一茶は、徳本上人の一日の食事が一合のそば粉であることを知り、驚いて「徳本の腹を肥やせよ蕎麦の花」との句を詠んでおり、このそばに目を付けた。今後は地元遊休農地の活用やそばを使った土産品開発も進めたい考え。金﨑会長は「早ければ来春にも再び栽培して、そばやそば粉、アメなどの産品の試作品ができれば」と意気込んでいた。