岩手県矢巾町で、中学2年男子生徒(13)がいじめを苦に電車に飛び込んだとみられる自殺があり、若い命が絶たれた。テレビや新聞の報道では生徒と担任がやり取りする「生活記録ノート」に「殴られたり、蹴られたり、首絞められたり」と暴力を受けていたことが書かれ、「市(死)ぬ場所はきまってるんです」とつづられていたという。しかし、担任からは「明日からの研修たのしみましょうね」など書かれただけだった。
 メディアでも注目され、先日放送されていたテレビ番組では1人の元国会議員が「厳しい言い方かもしれないが」と前置きした上で、「病気で生きられない人もたくさんいる。どんな場合であっても自らの命を絶つということはあってはいけない。いじめで死にたいと思うぐらいなら学校に行かなくてもいい」とコメントしていた。
 まったくその通りだと思う。しかし、今回の場合、いじめで死にたいと思っていたことを親にも打ち明けていなかった。そんな子が「いじめが嫌だから学校には行かない」と簡単に逃げ道を探せただろうか。生活記録ノートに悩みを書き込んだのが精いっぱいの勇気だったかもしれない。
 中学や高校になると、親との会話が少なくなりがちだ。だからこそ、周囲全体で子どもが発したSOSは敏感に感じ取らなくてはならない。それが今回の場合は生活ノートだった。担任が少年のメッセージを敏感にとらえ、校長や少年の親に相談を持ちかけていたら、命を絶つという行為はなかったのかもしれない。
 親と子どもが接する時間が少なくなった現代社会では、学校、家庭、地域が連携して見守ることが必要。子どもの情報を3者間で風通しよくすることで、1人でも多くの命が救えるのではないか。(雄)