あの3月11日、東日本大震災の起こった年から数えて4度目の3月が巡ってきた。海が巨大な一枚の布のように家や田畑を覆い尽くした、あの光景の衝撃はいつまでも忘れられない
 日高地方の先人達が残した災害記録を学ぶ会が、1日に御坊市中央公民館で開かれた。和歌山県立博物館と同館施設活性化事業実行委員会主催の現地学習会「歴史から学ぶ防災」だ。資料の一つ「津浪心得咄し」が特に興味深かった。現在の御坊市北塩屋で饅頭屋を経営していた清七が残した安政地震津波の記録だ。印南中教諭阪本尚生さんの現代語訳で分かりやすく学べた。清七は名屋浦の神社に逃げ、足元1尺を波が濡らしたので松の木の枝に登り、生きた心地もせず念仏を唱えていると波は茶免橋まで上がっていき、それから引き始めたという。客観的な事実だけでなく、実家の小松原にいる母や兄を案じてなんとか会いに行こうとする気持ち、無事だった家族と顔を見合わせ、皆ものも言わずに泣くばかりであったことなども記され、心を打つ。清七は代々この文を読み継ぐことを促し「誠に誠に恐るべし恐るべし」と結ぶ。一庶民が子孫のため記してくれた貴重な記録である
 その前日、県と県文化振興財団主催、映像と朗読の構成劇「忘れない」が御坊市民文化会館で上演された。「稲むらの火」の安政地震、阪神大震災、東日本大震災、紀伊半島大水害に関する映像を映し、詩や文を朗読。がれきの中で両手で顔を覆って泣くおばあさんの写真などの映像が、言葉を超えて心を揺さぶってきた
 記録は、人の目に触れて初めて意味を持つ。情を揺さぶる「記憶」として心に刻まれる。それは今の時代を生きる知恵となり、そしてさらに未来へと引き継いでいける。
        (里)