みなべ町晩稲の南部梅林で11日、同梅林を運営する梅の里観梅協会(糸川昭三会長)の設立50周年式典が行われた。梅栽培の先駆者内中源蔵氏を偲ぶ梅供養と併せて行われ、糸川会長は「所得減少や後継者不足と農家を取り巻く環境は厳しいが、微力ながら産業の発展に貢献していきたい」と式辞した。梅林公園では、南部高校の生徒らが梅の記念植樹も行った。
 南部梅林の観梅協会は昭和初めに発足したが、観梅事業は太平洋戦争で一時中止。その後、昭和40年から活動を再開し、町の観光やPR活動を通じた梅の消費拡大に貢献してきた。
 式典は、梅林料金所近くの小殿神社前で行われ、初代会長の竹田郁夫さん(87)=晩稲=に感謝状を贈呈。糸川会長はあいさつの中で、先駆者の内中氏の功績をたたえながら「『一目100万本、香り十里』といわれる南部梅林には愛着と誇りを持っている。梅は健康食の代表格だが、農家を取り巻く環境は厳しい。これからも微力ではあるが、梅産業の発展に貢献できるように頑張っていきたい」と述べた。小谷芳正町長は「アベノミクスの景気の波に乗れておらず、梅産業の環境は厳しい。世界農業遺産への登録を進め、世界にPRできるように取り組んでいきたい」と意気込みを話した。来賓の仁坂吉伸知事や地元の坂本登県議会議長も、世界農業遺産への取り組みに加えて梅干しが国に災害備蓄用として位置づけられ「格上げ」されたこと、日本洋酒酒造組合が人工調味料を使っていない梅酒を本格梅酒として自主基準を定めたことなどを紹介した。このあと光明寺の和田教完住職が読経する中、出席者が焼香して内中氏の冥福を祈った。
 梅林公園では南高梅の名称と関係の深い南部高校園芸科の岡﨑汰一君(2年)、濵口悠斗君(同)、梁瀬広志君(同)の3人が仁坂知事、坂本県議会議長、小谷町長と一緒にそれぞれ梅の苗木を植えた。