宮内庁が編さんした昭和天皇の公式記録集「昭和天皇実録」が公開された。初代神武天皇からかぞえて124代、建国以来、最大の事件となった大東亜戦争など、激動の時代を歩んだ生涯が記されている。
 昭和18年5月、北太平洋のアッツ島に米軍1万2000人が上陸し、わずか2500人の守備隊は米国の戦史に残る激闘を繰り広げたが、衆寡敵せず。最後は暗号書を焼き、無線機をすべて壊したうえ、全軍総攻撃で玉砕した。
 この悲痛な電報を受けた大本営は、杉山陸軍参謀総長が拝謁のうえ奏上。陛下は「アッツ島部隊は最後までよく戦った。杉山、そういう電報を打て」とおっしゃられた。もちろん、打っても届かぬことを承知のうえ。死んだわが子の名を叫び続ける母親のようなお気持ちか。
 陛下のお言葉を参謀総長から聞き取る係を務めていたのが、のちに伊藤忠商事会長となる故瀬島龍三氏。「いまの若い人たちにどうしても知っておいてほしい」と、著書の中で振り返っている。
よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
 昭和16年9月6日の御前会議。対米戦争を避けるため、最後の最後まで和を要望された陛下は、会議で軍服のポケットから紙切れを取り出し、明治天皇の平和を願う御製を読まれた。
 戦後は災害の被災地に赴き、被害を受けた人々に声をかけて励まされた。昭和62年には、86歳で初めてヘリコプターに乗り、火山噴火で被災した伊豆大島に降り立たれた。 今上天皇・皇后両陛下も東北の被災地を回られ、終戦70年となる来年は激戦地のペリリュー島を訪問される。ひたすらに国民の平和、幸せを祈る大御心、しっかりと受け継がれている。  (静)