平成26年、甲午(きのえうま)がスタートした。筆者も当たり年なのだが、ニュースによると午年生まれの人は推計958万人、十二支の中では最も少ないという。理由ははっきりしていて、昭和41年、丙午(ひのえうま)生まれの人数が少ないことが影響しているそうだ。
 実は筆者が生まれた年はその丙午である。というと年代が近い人にならすぐ年齢を知られてしまうのだが、最近はそんなことを知る人も少ないようだ。午年生まれで最も人数の多いのは167万人の昭和53年生まれだが、その年生まれの同僚女性にきいても丙午という言葉自体を最近まで知らなかったという。
 陰陽五行説からみると「丙」も「午」も火の性で、この年生まれの女性は男性を負かしてしまうほど気性が激しいとされた。演歌のヒット曲「夜桜お七」で有名な八百屋お七が丙午生まれという俗説もあって、根強く信じられてきたという。江戸時代から遥か長い時を経たはずの昭和の丙午の出生数が極端に少ないことは、深い谷間を描く折れ線グラフで一目瞭然。高校時代、筆者の学年はすぐ上、すぐ下の学年より2クラス少なかった。ちなみに「夜桜お七」をうたう坂本冬美さんも確か筆者と同年代、丙午ではと調べてみると、学年は同じだが3月の早生まれ、丁未(ひのとひつじ)であった。
 実際に丙午生まれの女性は皆気性が激しいかというと、そうは思えない。筆者自身も特にそんな気性ではないと思う。やはり迷信は迷信である。次の丙午は平成38年。この次に当たり年を迎える時は暦が還ってくるのかと思うと複雑な気分だが、その頃にはおそらくこの迷信もほぼ風化しているのではと、それを確かめるのが今から楽しみでもある。 (里)