村上春樹といえば、毎年ノーベル文学賞の候補としてマスコミを賑わせる日本を代表する国際的作家である。ノーベル文学賞発表の日は書店にファンが集まりテレビ局が中継するお馴染みの光景となっている。そのノーベル文学賞を受賞する大きな要因の一つがノーベル図書館における貸し出し冊数だというのはご存じだろうか? ストックホルムにあるノーベル財団の図書館であるが、この図書館はノーベル財団関係者だけではなく一般市民も利用できる。ここで毎年どのような作家の本が数多く貸し出されているかが公表されている。昨年ノーベル文学賞を受賞したノルウェーの劇作家ヨン・フォッセは近々の5年間は必ずベスト5に入っていた。これが重要なのであるが村上春樹の名前は最近は見当たらない。そうはいっても日本では大変人気のある作家である。村上春樹ほどの作家になると作品が出来上がるまで出版社は待ってくれるらしい。前作「騎士団長殺し」から6年後に発表されたのが本作品である。私が読もうとして和歌山県図書検索システムで検索すると県立図書館には4月14日時点で12件もの予約が入っていた。仕方なく御坊市立図書館で検索してみると幸いにも予約がなかったので早速借りて読んでみた。

 ―ぼくときみはエッセイコンクールで出会った。ぼくは十七歳できみは十六歳だった。コンクールはぼくは四位できみは五位であった。表彰式では隣同士の席に座っていたのでそれがきっかけで付き合うようになった。公園でのデートのとき、きみは、ここにいるわたしは影で本当のわたしは壁に囲まれた街にいる。その街には誰も働いていない工場と幾つかの集合住宅と本の置いていない図書館がある、と言った。本当のきみはその図書館で働いているという。そしてぼくにもその図書館で働いて欲しいときみは言った。ぼくの仕事は図書館に所蔵されている「夢」を読むことだという。そう、図書館でのぼくの仕事は「夢読み」なのだ。

 子易(こやす)さんという幽霊(?)の図書館長の後釜としてぼくはその図書館に行くことになった。その図書館は福島県の山里にある図書館だった。壁に囲まれた街の図書館ではない。わたしは現実世界に戻っていたのだ。しかし幽霊の図書館長がそこにはいた。

 その後展開は予測不能で、これこそ村上ワールドなのかも知れない。

 この作品のストーリーを追っても仕方のないところで理解不能に陥るだけだ。壁の中の街を各々が持つ心の中と置き換えればある程度は理解できるのかも?
 この作品は1980年「文學界」に発表された「街と、その不確かな壁」、原稿用紙にして150枚ほどをコロナ禍の3年間で1200枚の長編小説として書き直したものである。その間に作者は31歳から71歳になっていた。

 あなたはこの作品をどう読むのだろうか?(秀)