宮子姫の時代よりもさかのぼることおよそ半世紀、7世紀半ばに謀反の罪に問われ19歳の若さで刑死した有間皇子。古代史に関心のある人々には「悲劇の皇子」としてファンも多い。その皇子の眠る墓所が、実は御坊市岩内にある◆考古学の第一人者、同志社大学名誉教授の森浩一氏が昭和50年代に立てた説だ。当時その古墳、岩内1号墳は県文化財に指定された。そして先月30日、1号墳・3号墳からの出土品が県文化財に指定。銀装大刀、棺座金具など有間皇子埋葬説の有力な根拠となる副葬品である◆昨秋のシンポジウム「有間と宮子」は、古代史に不案内な筆者の頭では内容を完全に消化はできなかったが、その後、皇子の顕彰活動を行う東山の森Ark代表理事の東睦子さん主催「後続展」を取材。詳しく話を聞いて純粋な情熱に頭が下がると同時に、皇子を巡る人間ドラマに興味が湧いた◆有間皇子の父で、大化の改新(蘇我入鹿暗殺ではなく正しくはその後の政治改革を指す)を実際に進めた孝徳天皇は孤立し、皇子が15歳の時に崩御。それから19歳までの4年間、有力な皇位継承者である皇子は何を思って成長したのか。中大兄皇子、その母の女帝斉明天皇ら関係する人物像など、調べれば調べるほど面白い◆単純な話、面白みがなければ人は興味を持たない。有間皇子顕彰にとりあえず必要なものは、人物像や物語などの分かりやすいアピール。そのためには地元がまず知るところから始めなければならない◆岩内1号墳は小高い丘の上にある。多くの車を止める場所はないが、きれいに整備されている。関心のある方は一度訪れてみてはいかがだろうか。若き皇子とこの地との縁に思いを馳せながら。     (里)