「時は宝永4年、大地震が数回起こり山が崩れ、地面は砕け、人々はみな大混乱した。山のような津波がうねりながら押し寄せてきて家財があっという間に流されて行方知らずになってしまった。前代未聞のことだ。ことごとく波にさらわれ皆漂い溺れてしまった。哀しいことに親子兄弟はあっという間に離れ離れになってしまった...(一部抜粋)」。これは印南町の印南小学校近くの印定寺に現存している、およそ300年前、南海地震の津波の規模として過去最大とされる宝永地震(1707年)の様子を記した貴重な資料である。この教訓が生かされ、印南町では1854年の安政南海地震で犠牲者はゼロだった。
 宝永地震と同程度の大津波が、南海トラフを震源とする地震によって400年から600年の周期で発生していることが、産業技術総合研究所等のチームの調査で明らかになった。宝永地震から300年余り、400年までにはまだ100年あると思われる人がいるとすれば大間違い。周期はおよそであり、過去の事例からも南海地震はいつ発生してもおかしくない。
 東日本大震災から2年3カ月が過ぎた。大津波の映像に恐怖し、原発の危険性も目の当たりにした。それでも最近聞こえてくるのは、国が示した南海トラフの巨大地震の新想定が厳しすぎて行政として対策が難しいと嘆く声。事情は分かるが、本当に東日本の教訓は生かされるのか心配だ。2年3カ月たって何か変わったのだろうか。「1000年に1度だからそうこないだろう」。そんな思いが広がりつつあるのではないか。せめて意識はしっかり高めたい。本当にこのままでいいのか、もう一度一人一人が考えよう。 (片)