御坊生まれの浄瑠璃の名手、紀國太夫こと豊竹君太夫(本名・小竹利兵衛)の遺業をたたえようと、市内中町の下川沿いに建立されていた石碑は、老朽化が著しいため下川河川改修を機に撤去され、現在市内の石材店でお蔵入り。しかし、文化財関係者から「御坊に浄瑠璃文化があったことを伝える歴史的価値の高い石碑」として存続を求める声が上がっており、市教育委員会は修繕して、歴史民俗資料館での展示を考えている。
 豊竹君太夫は浄瑠璃の芸名で、紀國太夫は藩侯からたまわった名前。享和3年(1803年)に日高別院裏門前の造り酒屋で生まれ、のちに旅館業に転じた。当時、君太夫の浄瑠璃は旅館の旦那芸の域を超え、上方大阪の文楽座の太夫を務めるほどの技量で、「君太夫の浄瑠璃を聞くと、ほかの人の浄瑠璃は聞けぬ」とまで絶賛された。明治6年(1873年)に71歳で亡くなったあと、明治12年に追慕する門人が豊竹君太夫の名を刻んだ石碑(縦1㍍35㌢、横45㌢、奥行き30㌢)を下川沿いの茶免地蔵の横に建立した。
 しかし、平成24年度からスタートした下川河川改修工事に伴い撤去。茶免地蔵は同志会集会所の敷地内に移転したが、石碑は砂岩を使用しているため老朽化が著しく、修繕のコスト面から地元区では新調することにし、現在は茶免地蔵の横に新しい石碑を建立している。一方、古い方の石碑は工事の関係で現在市内の石材店で仮置き。その後、地元区から管理を委ねられることになった市教委が、今後の扱いを検討。文化財関係者からの強い要望を受けて、修繕する予定だ。修繕には特殊な技術が必要なため、愛知県名古屋の専門業者に依頼する必要があり、 費用は約60万円。担当課では「いつまでも石材店に置いておくわけにはいかないので、本年度中には歴史民俗資料館に運びたい。修繕は来年度以降になると思う」と話している。