無謬性という言葉。最近、テレビの政治討論番組などで聞かれるようになった。 普通の生活ではほとんど口にすることはない。 「むびゅうせい」 と読み、 インターネットで意味を調べてみると 「誤りが含まれていないということ。 誤りのなさ。 誤りようがない、 すなわち、 絶対に正しいという意味」 などと記されている。 「日本の官僚は無謬性を見直さなければならない」 とかいって使われる。 自分たちが立案、 やってきたさまざまな事業はすべて絶対的に正しいと考えている。 だから時代に即応した改革ができずに、 世界から取り残される。 政治評論家らのそんな官僚批判の際に用いられている。
 世の中には不変の絶対に間違っていない、正しいことなんてものはないのに、そう思い込んでしまうとあちこちに害を及ぼす。絶対に正しいと思った時点で思考停止となり、成長がストップしてしまうからだ。今日よりも明日、 明日よりも明後日と日々の進化がなければ刻々と変化するこの時代には生き抜いてはいけない。 放っておいても時は過ぎ、 周囲もごく自然に変わっていくため取り残されていくのは明らか。 「最も強いものが生き残るのではなく、 最も賢いものが生き延びるのでもない。 唯一生き残ることができるのは変化できるもの」 と進化論で有名なダーウィンの名言にもあり、 政治の世界だけでなく、普通の個人も組織も肝に銘じておかなければならないと思う。
 来年は巳年。 普段の自分をいま一度見つめ直したうえで、 一層知識を蓄え、 さまざまな経験を生む一年にしていきたい。 これまでの自分に満足してとどまることなく、 脱皮を繰り返して成長していきたいものだ。
       (賀)