行方不明者を捜索する緊急消防援助隊 (6日、輪島市)=御坊市消防提供=

 石川県能登半島地震の被災地に和歌山県緊急消防援助隊で派遣されていた御坊市消防の隊員が帰還し、第2陣の御坊派遣隊隊長を務めた角秀樹司令(58)が17日、取材に答えた。甚大な被害をはじめ、通行不能な道路や余震のため困難だったという活動を説明。「安全な場所に避難し、自分の身を守ることが最重要。そのことを市民の皆さんに伝えたい」と話した。

 能登半島地震では1日から10日まで、県内全ての消防から合わせて122隊・419人が緊急消防援助隊として第1~3次、御坊市からは瀬戸良昭司令(59)、角司令、伊東潔司令(52)を各隊長に計3隊・15人が派遣された。県大隊は金沢から穴水町あすなろ広場へ入り、能登町の柳田植物公園を拠点にして活動。角司令ら第2陣は4日午前7時すぎに出発し、9日午前0時半すぎに帰署した。

 角司令によると、金沢市から能登半島の先に進むにつれて、道路の亀裂や隆起、家屋の倒壊と被害が目に見えて大きくなり、第1陣に合流できたのは出発から17時間後の5日午前0時。野営キャンプでも、各隊員のスマホから緊急地震速報が響く中、余震で被害が拡大しないか、避難者を気にかけ、無事を祈りながら朝を迎えた。

 6日には輪島市の渋田地区で、倒壊家屋の行方不明者を捜索。現場近くで土砂崩れがあり、資機材を持って100㍍ほど徒歩で近づいた。慎重に手掘りで作業を進める中、活動中も余震が頻発し、退避と再開の繰り返し。中隊長を務めていた角司令は「隊員の安全管理が役割。隊員に一人の犠牲も出さないことが第一で、行方不明者を早く助けてあげたいという気持ちとの板挟みでした」と振り返った。

 7日は大雪で、キャンプ地ではエアーテントが雪の重みでつぶれないよう、交代で夜通し対応。「服を着こんでいても寒く、避難者の体調管理が気になりました。健康面や生まれ育った場所を離れる2次避難を思うとやるせない」と話した。

 消防の車列に手を合わせたり、深々と頭を下げたりする被災者の姿があったといい、「いま思い出しても泣けてくる」。「とにかく命を守らなければ先はない。私たちが被災する側になるかもしれず、この地域に置き換えた場合、何ができるか、市民の皆さんに一番何が安全か考えさせられました」と表情を引き締めていた。