科学的知識が文学に昇華する、味わい深い短編集をご紹介します。本屋大賞や直木賞の候補になりました。表題作と「海に還る日」「アルノーと檸檬」「玻璃を拾う」「十万年の西風」の5編を収録。

 物語 コミュニケーションが苦手で面接はすべて失敗、一つも内定を取れず焦りを抱えたまま研究室の先輩には雑用を命じられ、プライベートでは同級生にマルチ商法の片棒を担がされる大学4年生の「僕」。いつも行くコンビニで、ふとしたことから、失敗ばかりしているベトナム人の女性店員が実は優秀なエリート留学生であることを知った。地球を研究する彼女から、心震わせるある事実を聞く…。(「八月の銀の雪」)

 実の母親に捨てられ、育ててくれた祖母とも死に別れ、幼い娘を抱えたシングルマザーの「わたし」。自分に自信が持てず、子育てもつらいことばかり。満員電車の中で娘とベビーカーを抱え、体調を崩して途方に暮れていたところ、年配の女性が席を譲ってくれる。彼女は博物館に勤めており、館のイベントのチラシをくれた。そこへ足を運んだことで、「クジラの吟遊詩人」をキーワードとする新たな世界が彼女の前に広がることになる…。(「海に還る日」)

 スマホのアルバムにあったきれいな写真を何の気なしにSNSに上げたことから、厄介な男性とかかわることになった瞳子。「あなたが投稿した画像は、僕の作品です。著作権侵害に当たりますので、即刻削除してください」。そんなコメントを受け取り、謝って削除したものの簡単には許してもらえない。事の真相を探ると元々は友人の奈津子が誤って送った画像で、奈津子の母とその男性、野中の母は従妹同士だった。実は、その写真は「珪藻アート」の作品。大きさ0・1㍉の生物「珪藻」を極めて細いものを使ってガラス片の上に並べていく。野中の作品はマーガレットの花のような形をしていた。黒を背景にぼうっと青く光る、美しいガラス細工のようだ。成り行きで野中の家を訪ねることになり、顕微鏡越しに「珪藻」と対面した瞳子は、見たこともなかった極小の美の世界に息をのむ…。(「玻璃を拾う」)

 物理学者湯川秀樹の著書「旅人」、数学者岡潔の著書「春宵十話」を読んで、そこに広がる世界の詩的な美しさに感動したことがありました。本書の著者も理系の学問を修めてきた人なのですが、本書に収められた作品はどれも自然科学の知識に支えられ、そして詩のような美しさを秘めています。

 表題作には、地球の内部のダイナミックな構造、そこにある意外なほどに繊細な美が描かれます。コアの中心の内核、そこには銀色の雪、鉄の結晶が静かに降り続ける。作中で提示されるイメージは人の心を捉える神秘に満ちています。

 壮大で精緻な自然は、人の心の指針となる真理を常に内包しているようです。人がそれに気づきさえすれば。(里)