1914年(大正3)のカナダで、日本籍の汽船に乗り込みやってきた大英帝国統治下のインド臣民360人が入国を拒まれ、ほぼ全員の336人がインドへ引き返した。北米での不当な人種差別、アジア系移民排斥の代表例で、いわゆる「駒形丸事件」として歴史に刻まれた。

 この駒形丸に一等機関士として乗り組んでいたのが、日高郡塩屋村(現御坊市塩屋町)出身の塩崎与吉氏。海運業「塩崎汽船」を創業、神戸を拠点に海軍出入りの実業家として成功し、娘は京都府選出の元衆院議長前尾繁三郎氏の妻となり、池田勇人首相や三洋電機創業者の井植歳男氏らとも親交があった。

 以前、御坊の塩崎氏の親類の方に、日中開戦のころに撮られた上海特別陸戦隊司令官の大河内伝七中将とのスナップ写真を見せていただいた。日章旗が飾られた応接室で軍服の大河内中将と並んでソファに座り、スーツでたばこを手にリラックスした姿は、名画「シンドラーのリスト」の主人公オスカー・シンドラーそのものだった。

 あくまで写真の印象の話で、戦時下の日本軍とドイツ軍を同列に置くわけではない。戦争は軍需産業に資金が集中し、航空機や艦船、戦車、爆弾の製造企業は儲かる。海軍の上層部や政界の大物ともつながっていた与吉氏は実業家として大きくなりながらも、ふるさとを忘れず、情に厚かったという。

 軍とのつながりを深めて事業を拡大したシンドラーは、戦況の悪化とともに狂気が日常となっていくなか、少しずつ命の重さに目覚め、蓄えた全財産をはたいてユダヤ人労働者を救う。塩崎氏も駒形丸で理不尽な人種差別を目の当たりにし、その後の人生に何らかの影響を受けたはず。2人の生きざまが少なからず重なる。(静)