だますつもりはなかったが、その場しのぎでうそをつき、それがばれないようにうそをつき続けなくてはならなくなる。最終的に逃げ切れなくなり、怒られ、謝り、反省し、そんな心の痛みも経験しながら人は少しずつ成長していく。

 ところが、これが組織になるとなかなかそうもいかない。究極的には80年前の戦争も、開戦半年後のミッドウェー海戦で大敗しながら大本営がその真相を隠し、逆に勝利を喧伝したのが破滅への道の始まりだった。

 まさか、本気で米国に勝てると思っていたわけではあるまい。これだけ多くの部下たちが血を流し、いまさら負けを認めるわけにはいかなかったというのが泥沼化の理由として指摘されているが、終戦までの1年にどれほどの兵士、国民が犠牲となったか。国家の罪はあまりに大きい。

 お菓子を盗んだ子どもから組織ぐるみの巨悪まで、ことが大きくなるまで隠し続けるのは、やはり面子を保とうとする意識か。三億円事件や警察庁長官狙撃などの未解決事件も、面子をかけた捜査機関の内部対立があり、それが迷宮入りの大きな要因となった。 先日、袴田事件で静岡地検が有罪を立証する方針を示し、激しいバッシングを浴びた。有罪とするに十分な証拠を提示できない検察。再審請求審では裁判官に「捜査機関による証拠の捏造の可能性が極めて高い」と指摘された。

 今回の異例の有罪立証方針は、これに対する反発が大きいともいわれているが、4人の命が奪われ、真犯人は死刑確実の事件の重大性を考えるほど、引くに引けないのは弁護側も検察側も同じ。面子のためにうそ(捏造)をつき続けているわけではなく、勝てるとの確信があっての決断だと信じたい。(静)