なんとかウクライナの人たちの力になれないか――。ロシアの侵略のあまりの不条理さ、残虐さに怒りがこみ上げ、毎日、祈るような思いでニュースを見ている方も多いだろう。

 2014年、ロシアはクリミア半島を併合、強引に自国領土に取り込んだ。このとき、日本人の反応はいまほどではなかったが、被害者のウクライナに対し、「涙が出るほど悔しい」と同情を寄せる人がいた。

 昭和の戦争体験者への取材。終戦時、満州で捕虜となったその方は、シベリアで3年半、強制労働を強いられた。当時の旧ソ連は15の国からなり、異動で着任する所長もいろんな国のいろんな人がいたなか、ウクライナ人の所長のやさしさが忘れられない。

 他の所長下では日常だった極寒の真夜中の抜き打ち点呼も、その人道的な所長は何度も免除してくれた。異動前のあいさつでは、「ここにいる君たちは1人残らず、全員が元気で、素晴らしい祖国日本へ帰ってほしい」と温情あふれる言葉をかけてくれたという。

 仲間が次々と命を落とし、心身とも限界だった収容所からなんとか生還。70年近くが過ぎたいま、クリミア半島問題のニュースで「ウクライナ」という言葉を聞くたび、「ウクライナを応援したくなるんです」と話しておられた。

 残念ながら数年前に鬼籍に入られたが、筆者はいま、穏やかなやさしい表情でこの話を聞かせてくださったその方と同じように、ウクライナという言葉を聞くたび、ロシア軍の非道な戦争犯罪を見るたび、ウクライナを応援したくなる。

 母国の両親と離れ、その身を案じながら由良町で暮らしているウクライナ人の女性がいる。彼女の心を支えているものは何か。家族はもちろん、日本人のやさしさであってほしい。(静)