明けない夜はないから…。いったい誰がいい始めたのか。絶望の淵に立たされた人を励まそうとして使われる言い回しで、最近よくテレビなどで耳にするが、どうも無責任な気がしてならない。

 もちろん、苦しんでいる人に寄り添い、希望を持ってほしいとの思いから出る言葉である。しかし実際は、どれだけ時間がたっても明けない夜はあるし、努力をしてもどうにもならないことはいくらでもある。

 いくら健康に注意していても、どれほど安全運転をしていても、病気や事故を100%防ぐことはできない。治せない病気もあれば逃れられない暴力もあり、人は誰も死を避けることができない。

 東日本大震災からきょうで10年を迎える。被災地ではいまも行方不明となった肉親が見つからない人がいる。遺体が見つからない以上、生きているかもしれない。が、状況的にその可能性はほとんどない。「せめて遺骨でも見つかれば…」。

 そんな被災地の家族にとって、警察や海上保安部が続けている遺骨の捜索が「希望」だという。いまとなっては遺体が見つかることはありえず、遺骨の一部でも見つかれば、死を受け入れたくても受け入れられない苦しみから解放される。

 病気、事故、事件、災害、自殺…私たちの回りには常にいくつもの死が口を開けており、ときに理不尽にその穴に突き落とされてしまう。このとき、精神的ダメージの大きさは人によって違いが出る。

 人生に希望が大きいほど、かなわなかったときの苦痛は大きい。逆に人生とは常に辛く苦しいものだというスタンスでいれば、小さな光も無上の幸せに感じる。家族の死を確定される遺骨に希望を見い出す東北の被災者に、いまを強く生きる術を学びたい。(静)