地名は、地形や土地の特徴から付けることが多かったといわれている。筆者が生まれ育った印南町印南、小字は光川。地域には富ノ川という小さな川が流れている。子どものころはこの川がキラキラ光っているから光川になったと思っていたが、由来は地区にある斑鳩(いかるが)王子らしい。熊野九十九王子の一つで、王子跡に社がある。「いかるが」がなまって「ひかるがわ」になったという説。皆さんが住んでいる地区の名前にも由来があるだろう。地域の歴史や文化が詰まっているかもしれない。

 みなべ町の旧南部地区、東吉田地内のAコープみなべ近くの高台に「上城(うえんじょ)」という地区がある。「上城(うえんじょ)遺跡・上城城(うえんじょじょう)跡」で古墳時代と室町時代の遺構が見つかったことで最近、よく聞いた地名だ。室町時代ごろ、上城城があっただろうといわれているが、実はまだ確定的な遺構は見つかっていないという。地名になるくらいなので、存在していたことは間違いないだろう。今回発見の遺構は城跡ではなさそうだが、同じ時代に近くで人々が生活していたということは、城と関連があるように思う。

 地元住民によると、上城城があったことをうかがわせるいい伝えが残っているという。八幡神社もあったとされ、神社跡に建っていた説明書きの石柱も今ではなくなっており、上城城を示す手がかりはない。幻の城と言えば少し大げさだが、どのような規模でどんな構えだったのか、想像するだけでロマンがある。町にとっても貴重な歴史であり文化であり、埋もれたままにしておくのはもったいない。地元住民も望んでいたが、ぜひ調査してもらいたい。(片)