上田岳弘著 講談社 1620円(税別)

平成最後の芥川賞受賞作品、前回の「1R1分34秒」に続き「ニムロッド」をご紹介します。率直にいって、「1R…」より興味を引かれました。表面上のストーリーよりも遥かに深く、重いものを内包している気がします。
物語 IT企業に勤務し、ネット空間にある仮想通貨ビットコインを発掘する仕事を受け持つ「僕」。恋人は有能なビジネスウーマン田久保紀子。海外出張で難しい契約を成立させるなどバリバリかせぐが、離婚経験があり当時の嫌な記憶に捉われている。

「僕」には荷室という友人がいる。小説の新人賞で3度最終選考に残り、3度落ちた。最後に落ちたあと鬱病を発症、休職ののち名古屋勤務。彼は旧約聖書の人物「ニムロッド」を名乗り、メールで「駄目な飛行機コレクション」という文章、そして最後の王「ニムロッド」を主人公とする小説を送ってくる。

「僕」には左目から突然涙が流れ出す病気があり、ニムロッドは「小説のモチーフにしたいから涙が出たら教えてくれ」、メールを読んでニムロッドに関心を持った紀子は「彼に涙を見せる時は教えて」と言う。そしてある夜、テレビ電話を使って3人の顔合わせは実現。最初で最後の出会いが何をもたらしたのか、真実を知ることのないまま「僕」は2人を永遠に失う…。

ストーリーだけをなぞれば、先端企業で働く現代青年が恋人と友人を失うだけの単純な話ですが、重要なのは書かれていない部分。

紀子とニムロッドはそれぞれ傷を負い、葛藤を抱えている。紀子の発するSOSに主人公は優しく対応するのですが、それは彼女をしっかり受け止めるというより受け流しているだけで、紀子は深い会話のできない主人公より風変わりな小説を書くニムロッドに興味を引かれる。

こんなことは直接書かれてはいませんが、紀子の表情や仕草、ニムロッドの小説の行間からほとばしるような世界と人々への哀切な思いを注意深く読んでいくことで、隠された重層的な構造がダイナミックに立ち上がってきます。

しかし、この人間関係上のポイントよりもさらに重要なキーポイントが、この作品にはあります。

小説の中でニムロッド王が建立する果てしなく高い塔、現実世界のネット空間で価値を積み上げていくビットコイン。それらが象徴しているものは、「今」という時代の価値観の核。

「駄目な飛行機」が意味すると思われる、時代に乗り切れない不器用な人間達。塔の下で一つに溶け合う、均質化されてしまった現代人のグロテスクなイメージ。

まさに平成が終わろうとしている、この時代を鮮やかに切り取った傑作といっていいと思います。
(里)