ことしはカナダBC州の和歌山県人会が50周年を迎え、かつて多くの移民を輩出した美浜町の森下誠史町長が記念式典に招かれた。その後、移民した人たちの孫、ひ孫世代の若者が逆に美浜町を訪れ、自身のルーツをたどって「アメリカ村」を歩いた。
 70年前、現在の中国東北部には日本の関東軍が主導して建国した「満州国」という国が存在した。昭和6年の満州事変以降、終戦までの14年間に約27万人が移住。終戦間際の20年8月には、ソ連が一方的に中立条約を破棄して満州に攻め込んできた。
 満州を守る関東軍はすでに南方に振り向けられていた。邦人移民はちりぢりになって列車に飛び乗り、銃弾におびえながら歩き、途中、乳飲み子が泣きじゃくる女性は一緒に逃げる日本人に責められ、橋の上からわが子を捨てたという。
 その際、現地の中国人に預けられ、日本人の親と生き別れて育ったのがいわゆる中国残留孤児。昭和47年の日中国交正常化以降、身元の判明した人たちが続々と帰国したが、まだ見ぬ肉親との再会を夢見ながら、進学や就職で差別を受け、出国を許されぬまま亡くなった人も少なくない。
 日本人は学校教育で中国の近代史を学ばない。毛沢東が進めた狂気の大躍進政策、文化大革命も、「言葉は聞いたことあるけれど...」という人がほとんどではないか。そのすさまじい飢餓と暴力の嵐の中を生き抜いた残留邦人の現実を知るほど、いま直視しなければならないのは日中の歴史であると痛感する。
 カナダでも米国でも、日本人移民に対する差別はあった。来月には南カリフォルニアから、移民の孫世代の大学生2人が和歌山を訪れる。祖父母らの苦難を知り、両国の歴史に目を向けてほしい。   (静)