昭和20年6月22日、米軍機の爆撃で住民ら51人が亡くなった美浜町浜ノ瀬区で30日、二十数年ぶりに慰霊祭が行われ、遺族や区民約50人が参列。日高地方で最も凄惨な空襲を振り返り、犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。
 70年前の空襲は旧御坊町(現御坊市)名屋と旧松原村(現美浜町)にあった軍需工場がB29の標的となり、松原村では浜ノ瀬の地引き網の網小屋に集まっていた漁師ら34人と、吉原の日本アルミ工場(現ダイワボウプログレス㈱和歌山工場)で働いていた動員学徒ら17人が死亡。村全体で23人が負傷した。
 慰霊祭は爆弾が落ちた現場の浜ノ瀬住民会館そばの慰霊碑前で行われ、寄住敏和区長(78)は「今日の恵まれた社会に感謝し、あの空爆で命を奪われた51人、そしてあの大戦で犠牲となられた多くの御霊に追悼の意を表し、戦争のない平和で豊かな日々が永遠に続くよう、お祈り申し上げます」と追悼の言葉を述べた。
 空爆で義父が犠牲となった廣田勉さん(76)が遺族を代表し、「不幸にも被災された方々の無念さはいかばかりか、察するにたえません。戦争の悲惨さを思うとき、このような惨事を風化させることなく、平和の尊さとともに子ども、さらに孫の世代へと語り継がねばならないと思います」と決意を示した。