鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で5月3日に行われる第61回知覧特攻基地戦没者慰霊祭で、美浜町和田の会社役員小松雅也さん(84)が遺族代表の言葉を述べる。昭和20年5月の沖縄戦で、7つ上の兄中西伸一(のぶかず)さんが亡くなってから70年。遺族も高齢化で年々、慰霊祭への参列者が少なくなるなか、主催者のたっての願いで終戦70年目の大役を引き受けることになった。
 小松さんの兄、伸一さんは旧制日高中学校(現日高高校)から和歌山師範学校を卒業し、地元の和田国民学校で教師をしていたが、「自分も国のために戦わねば」と、昭和18年に教師を辞めて陸軍特別操縦見習士官に志願。三重県伊勢市の明野陸軍飛行学校へ入校、19年末には特攻隊に志願し、20年5月28日、鹿児島の知覧基地から第五四振武隊の隊長として出撃、敵艦に命中した。享年22。
 知覧基地跡地に建つ平和会館には、主に沖縄戦で知覧から出撃した全国の陸軍特攻隊員ら1036人の遺品や資料が展示されており、毎年5月3日に戦没者慰霊祭が行われている。遺族の1人の小松さんは昭和60年ごろに初めて知覧を訪れて以来、これまで5回、慰霊祭に参列。昨年は妹のさち子さん(81)と2人で参列し、平和会館近くの特攻隊員が出撃前夜に宿泊した三角兵舎跡を初めて訪ね、あらためて特攻隊員への感謝と哀悼の想いに胸が詰まり、「元気でいる限り、毎年、慰霊祭には参列します」と心に決めた。
 ことしは慰霊祭への案内はがきだけでなく、主催者の知覧特攻慰霊顕彰会から電話があり、遺族代表の言葉を依頼された。小松さんは「自分にはあまりに荷が重いとお断りさせていただきましたが、『70年の節目にいまもお元気な小松さんにぜひお願いしたい』といわれ、この国のために散華された1036人の特攻隊員の供養になればと思い、ありがたい気持ちで引き受けさせていただきました」と話している。
 慰霊祭には、孫夫婦も幼い子どもを連れて参列するという。