20日は、彼岸の入りである。秋彼岸は、秋分の日を中日とした7日間。この期間に行う仏事は日本独自のものだという。日本人にとっての仏教的世界観は、手を合わせての「いただきます」等をはじめ、宗教というより日々の暮らしに溶け込んでいる風習という感じがする。
 先日、日高郡仏教会主催の仏教講演会を取材。愛知県犬山市、寂光院の松平實胤(じついん)住職の講演を聴いた。「娑婆(しゃば)はサンスクリット語(古代インド語)で、直訳すると『耐え忍ぶべき場所』。人の世はすべてが一人前の仏様になるための修業」という趣旨だったが、個人的に最も印象に残ったのは94歳で他界したという松本師の祖母の話。健康寿命も94歳、つまり亡くなる直前まで元気だった。口ぐせは「ありがたい」「もったいない」「おかげさま」の3つで、不平不満をきいたことがない。毎日「きょうも一日楽しかった」と言い、すべてに感謝の心を向けていたという。
 
 「ありがたい」とは「有り難い」、あるのが難しい=奇跡を意味する。父母、祖父母、さらにそれぞれの両親とずっとさかのぼった昔から自分に至るまで、命のバトンは引き継がれてきた。生まれるまでには数えきれない人の命が必要で、どの段階で不都合が起こっても自分は存在しない。一人一人の命はすべて奇跡的な存在。計り知れない条件が命を支えている。そう思うと、すべてに感謝の心を持つのは仏教を超えて必要な心がけかもしれない。
 これまで取材を通じて親しくさせて頂いた方々の中には、鬼籍に入られた方もいる。サンスクリット語で「天上の花」という意味の曼珠沙華、彼岸花が鮮やかに風景を彩るのを眺めながら、教えていただいたすべてのことへの感謝の思いをかみしめている。     (里)