真珠湾攻撃による日米開戦から72年となる8日を前に、御坊市の野口小学校(岡本邦男校長)で4日、美浜町和田の会社役員小松雅也さん(82)から戦争時代の話を聞く特別授業が行われた。
 小松さんは7つ上の兄、中西伸一さんが昭和20年5月、陸軍特別攻撃隊として、沖縄戦の敵艦体当たり攻撃で戦死(享年22)。自身は日中開戦の昭和12年に小学校へ上がり、20年の中学卒業まで9年間を軍国教育の中で育ち、現在は各地の小中学校や一般団体の平和学習、集会などで戦争の悲惨さを語り続けている。
 この日は6年生32人を前に、「赤紙」と呼ばれた召集令状、千人針、兄伸一さんの遺書、出撃前に撮影された遺影などを見せながら、先生の発言も授業の内容も戦争一色だった子どものころの学校の様子、特攻隊を志願して「国のために戦死した」伸一さんと家族の思い出を語った。
 「中学生のころは学徒動員で、御坊の石川島という戦闘機の部品を作る工場で働いていた。ある日、食堂で珍しく肉料理が出たが、それは噛み切れないほど硬く、あとで犬の肉だと知って驚いた」という話に子どもたちは顔をそむけ、食料と毛皮にするため飼い犬まで軍に供出させられていた今では考えられない70年前の日本人の生活を垣間見た。
 平和願う寄せ書き200人超す 小松さんは平成21年1月から戦争体験を語る講演に回るようになり、現在までに聴講者数は延べ3000人を突破。ことし8月には講演先の団体からハトの絵が描かれた大きな寄せ書き(布製)が贈られ、平和を願う大人と子どもたちが名前を書き入れており、その数は今回の野口小学校の児童も含めて200人を超えた。