見慣れた漢字をじっと注視していると、やがて字を構成する線や点がばらけ始め、字の意味が分からなくなる。「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれる心理学の概念だが、感覚的な「世間の常識」というものも、何かをきっかけに突き詰めて考え始めると、やがて何が常識で、何が非常識なのか揺らぎ始める。
 日本人は勤勉で、世のため人のために行動することが美徳とされる。先生のいうことをきき、友達を大切にし、社会に出れば働くことで給料をもらい、その苦労を通じて周囲の人へのやさしさも育まれる。というのが、日本人の普通の価値観だろうか。
 しかし、社会にはそうでない人もいる。仕事ができる健康がありながら働かず、子どものしつけに無関心で、地域とのつながりも持とうとしない。周囲からは蔑まれるが、世間とかけ離れた価値観の世界に生きているため、周りの白い目を恥ずかしいと感じない。いわば隣に住む「外国人」。ある福祉の専門家は「世間の常識」にあてはめることはナンセンスだともいう。
 美浜町の出初め式で、80歳の町議会議員がたばこを吸った。当の本人は元教師、会場は学校、しかも君が代が流れる国旗掲揚中にである。議員として、社会人として、日本人として、非礼極まりない前代未聞の不祥事。ある意味、常識の問い直しさえ迫られるゲシュタルト崩壊的光景であり、記事には多くの反響(すべて議員に対する怒り)をいただいた。
 ステテコ姿で町長訪問など、はきちがえたクールビズも不快であり、子どもの教育上もよろしくない。基本条例を制定した直後でもある。住民、有権者の怒り、失望を考えると、「隣の外国人」としてうやむやにはできまい。厳しい対処を。   (静)