タイトルを知っていて、春になるたび読もうと思いながらつい機会を逸していた水上勉の名著。今年ようやく、桜の咲いているうちに読めました。

 物語 京都府北部、丹波の山奥に生まれた植木職人、北弥吉。家族との縁がうすく両親に愛された記憶のないまま大きくなるが、幼い日に木こりの祖父が山に連れて行ってくれた原体験から桜に心ひかれている。京の植木屋に奉公し、その後広大な桜山の持ち主で「桜博士」と呼ばれる竹部庸太郎と出会ったことが、弥吉の人生を決定した。

 竹部は妻を亡くしてから、桜の研究一筋に生きている。竹部のもとで働くことになった弥吉は、竹部から桜の知識を吸収。繊細で手間のかかる桜を世話することを、竹部は「桜を守(も)りする」と表現する。

 やがて時代は戦争に突入、弥吉にも召集がくる。竹部とも身重の妻とも別れ、兵馬を世話する毎日。終戦後に妻と再会、子どもも生まれ、しばらくは生きることのみに必死にならざるを得ない。再び植木屋に勤め、竹部とは文通で消息を伝え合う日々が続いた。

 再会したのは昭和36年。名神高速道路の工事のため、竹部の大事にしていた広大な桜山がなくなるという記事を読み、弥吉の新聞を持つ手は震えた。

 十数年ぶりに顔を合わせた2人。竹部は20年かかって育てた貴重な品種も多い桜林がなくなることの損失の大きさを訴えているのだが新聞では「ごねドク」などと叩かれ、弥吉は激しい義憤を覚える。そして弥吉はこの時、岐阜県の山奥、御母衣(みぼろ)ダムの建設によって水没予定の桜の話を聞いた。電源会社の老いた創業者から、樹齢400年の巨大な桜の移植を頼まれたという。桜のことを知る者なら誰が考えても移植などできるはずがない。しかし弥吉は、75歳の竹部の澄んだ黒い目が異様に輝くのを見た…。

 その桜、御母衣ダム湖畔の荘川桜は移植から60年以上を経た今も、毎年美しい花の姿を人々に見せています。小説では丁寧にその桜の大きさ、古さ、移植する場合に必要な作業など事細かに書かれ、知れば知るほど「それは無理だろう」としか思えないのですが、現実に桜は移植されて見事に根づいたのでした。桜に生涯を捧げてきた一人の人間の優れた知見、多くの作業員の丁寧で細心な仕事によって、誰もが不可能と考えた大事業が無事成ったことは、数多くの人間の心に勇気の灯をともしました。

 竹部のモデルは実在の学者、笹部新太郎。単なる伝記にせず、弥吉という植木職人の目を通して人物像を語らせているところに意味があるようです。

 日本人の心をつかむ桜という繊細で奥深い花の魅力とともに、今昔の日本人の心のあり方が独自の視点で語られ、非常に読みごたえのある一冊。夢幻のようにほろほろと散る花の印象が、読後に残っています。(里)