1日夕方に発生した能登半島地震から1週間が経過した。家族・友人らが集い、今年も平穏でありますようにと願う元日を襲った大地震、そして津波。被害の様子が日に日に明らかとなり、9日時点で死者が200人を超えた。ただでさえ厳しい北陸の冬の寒さ、降雨や積雪が追い打ちをかける。避難所生活の厳しさや、孤立状態の地域などから災害関連死する人も発生した。

 支援の動きも活発化している。全国の企業・団体や大規模なNPOなどは、食料や物資を届けるため現地に向かい始めた。6日からはみなべ町の民間災害ボランティア団体の紀州梅の郷救助隊が、食料などの物資を届けに能登町へと出発し、9日夜に戻ってきた。

 ニュースは刻々と変わる被災地の情報を伝える。悲しみに暮れる被災者の現状をテレビ越しに見て、ボランティアに行きたいという気持ちが出てくるが、今は個人でできることは限られている。

 大規模災害は長期間にわたるボランティアの力が必要で、そのニーズも数年かけて変化していく。発生直後はライフラインの整備や混乱が落ち着いたころに現地の社会福祉協議会がボランティアセンターを開設し、全国から集まった個人ボランティアを受け入れるようになる。初期はがれき撤去などの力作業が主になるが、次第に被災者の心のケア、地域イベント活動の支援へと変わっていく。阪神淡路大震災や東日本大震災の被災地では復興してもなお、ボランティア団体による支援活動が続いている。

 立ち直るには気が遠くなるような長い道のりが待っている。「自分は何もできない」など思わず、募金でもなんでも自分のできるタイミングや物事で寄り添えれば、それは立派なボランティアとなる。(鞘)