発見された土生城の堀跡

 日高川町土生地内の遺跡発掘調査で、1346年の南北朝時代に逸見万寿丸源清重(へんみまんじゅまるみなもとのきよしげ)が築城したといわれる土生城の堀跡が見つかった。同時に奈良時代から平安時代の建物跡も発見され、調査に関わった御坊市及び日高郡6町埋蔵文化財保護行政事務協議会の冨加見泰彦さんは「当時の集落の様子や土生城の痕跡の一端を知る上で価値がある」と話している。

 現場は役場西の県道三差路から北へ約100㍍入ったところで、今月5日から農道の拡幅に伴う発掘を開始。農道に沿って田んぼの南側幅3㍍、延長約30㍍の約90平方㍍を調査したところ、土生城の堀跡などのほか、数十点の土器や瓦の破片も見つかっている。土生城に関しては今まで本格的な発掘調査は行われていなかった。

 土生城は平地に築かれた平城で、城の内外を土塁(土手)、石垣、堀などで区画した曲輪を構成。大きさは東西60㍍、南北100㍍と推定され、現在、城跡は宅地や田畑となっている。

 城主の逸見万寿丸源清重(1321~78)は源義光の二男武田義清の後裔(こうえい)である逸見満清の二男。安珍・清姫伝説で釣り鐘がなくなった道成寺に2代目の釣り鐘を寄進し、当時荒れ果てていた道成寺を再建したとされている。

 発見された建物跡については複数の柱跡が見つかった。住居だったのか倉庫だったのか分かっていないが、大きな柱跡では一辺が約60㌢もある柱が使われていたことから、土生城には地域の有力者が住んでいた可能性があるという。

 発掘調査は14日まで行われる予定。発見された遺構の現場は14日午後1時半から3時まで公開され、県文化財センターの職員が来場者の質問にも答えてくれる。