先日、一緒に働いてきた先輩が65歳という若さでこの世を去った。1カ月ほど前に入院。それまではいつもと変わらないように見えたが、症状が急変したようだ。関わりが深かった人ほど別れが辛くなるし、もう会うことができないと思うと、空虚感や哀しみにさいなまれてしまう。

 入社した時に配属された南部支局の直属の上司だった。記事の書き方、写真の撮り方など記者として必要なことを教えてくれた。当時は本紙に旧南部町、旧南部川村、旧龍神村の記事を掲載する龍南版が2㌻設けられていた。筆者と1㌻ずつを担当し、2人で南部版の紙面をつくった。仕事に対しては決して弱音を吐かず、諦めない粘り強さを持っていた。周囲からは「岩ちゃん」と呼ばれて親しまれ、普段からにこやかな笑顔を絶やさなかった。話好きで会話を始めると、終わりが見えず「いつまで続くのか」と感じることさえあった。一度は日高新報を退職したが、昨年4月から再び本社で勤務。当時と変わらない笑顔で振る舞っていた。

  人は生まれ変わる。この世を去ると、また別の世界が待っている。「非科学的な考えだ」と言われるかもしれないが、生死をさまよった臨死体験者の話には「光や花が見えた」「大勢の人が歩いていて、手招きして呼ばれた」などと共通性がある。そうだとすると、肉体はなくなっても魂は残っていることになる。魂が再び違った形で生を受けるのではないかと考えるからだ。人の最期は生まれ変わりの過渡期かもしれない。

 岩ちゃんもまた別の世界の扉を開けて新しい人生を送っているに違いない。その世界でもにこやかな笑顔で楽しく会話している姿が目に浮かぶ。(雄)