「明日からは和歌山県の、和歌山県警の応援団として声援を送り続けたい」。25日、県警の遠藤剛本部長が離任前の会見に臨み、昨年11月から約9カ月間の任期を振り返り、部下の警察官、職員、和歌山県への感謝の言葉を述べた。

 その晴ればれとした笑顔とは裏腹に、同じ日、お隣の奈良県警では鬼塚友章本部長が涙を流し、万全の警護体制で安倍元首相を守れなかったことを謝罪のうえ、辞意を表明。さらに全国30万の警察官のトップ、中村格警察庁長官も責任をとって辞任する考えを表明した。

 安倍元首相の暗殺について、現場の警備体制に重大な瑕疵があったのは間違いない。どのメディアもコメンテーターも一様に、奈良県警の要人警護の甘さを厳しく指摘しており、その責任をとっての本部長の辞任は当然であり、むしろ遅いぐらいだとの批判も聞かれる。

 事件直後、教団に対する個人的な恨みが犯行の動機であるかのような、容疑者の新しい供述内容が次々と報道された。ネットでは、この報道へのリークも県警が自らの失態への批判をかわすための世論操作だとの声が少なくない。

 マスコミの目は教団に向き、与党の国会議員と教団とのつながりを連日報じられているが、検察庁法改正案やオリンピック前の騒動のような違和感がぬぐえない。肝心の犯行動機は本当に教団に対する個人的な恨みなのか、政治テロの可能性はないのか。追及すべきは容疑者、奈良県警の失態であろう。

 安倍元首相に寄せられた世界中の首脳、国家元首からの功績への称賛、哀悼の言葉をみれば、当然、国家として恥ずかしくない対応で礼を尽くさねばなるまい。教団と政治家の喧騒に惑わされることなく、静かに安倍氏を送りたい。(静)