興国寺の歴史を語る川端さん

 年金者組合日高支部由良地区は27日、由良町中央公民館で学習会「天狗の建てた寺―鎌倉殿三代将軍源実朝ゆかりの興国寺―」を開催。45人が参加し、NHK大河ドラマで注目される鎌倉幕府3代将軍源実朝と興国寺の関係を学んだ。興国寺の前身である西方寺が「そもそも実朝の菩提を弔うために建立された」という知られざる歴史に、来場者は興味深く聞き入った。

 同支部由良地区事務局の小田憲さんが「大河ドラマも面白くなっており、これから実朝が中心になってくるので皆さんに見てほしい」、来賓の山名実町長も「地元でも興国寺の歴史を知らない人は多いと思うので、この機会に知ってください」など述べて講演に移った。

 講師は、由良町文化財保護審議会委員長で由良町語り部クラブ会員の川端邦男さん。大河ドラマはちょうど講演会当日の再放送分で実朝が3代将軍に就任しており、「この講演会に合わせてくれたようなタイミング」と笑わせた。

 実朝は歌人としても優れ、小倉百人一首にも歌が収められているが、28歳の若さで兄頼家の息子公暁(くぎょう)に暗殺された悲運の将軍。興国寺の前身、西方寺を建立した願性(がんしょう)は元武士で、実朝の側近の葛山景倫(かつらやま・かげとも)だった。実朝は、宋の僧侶に「あなたは前世で宋の高僧だった」と言われたが、自分でもそういう夢を見たことがあったので「宋へ渡りたい」と熱望。巨大な船を建造するが失敗に終わり、代わりに宋へ行くよう側近の景倫に命じていた。博多で宋行きの船を待つ景倫のもとに実朝の訃報が届き、景倫は悲嘆の余り、高野山で出家。願性と名乗った。願性は北条政子から紀伊国由良庄の地頭職を賜り、実朝の菩提を弔うため1227年、西方寺を建立した。高野山の金剛三昧院で覚心禅師(法燈国師)と出会っており、覚心は願性の援助で宋に渡航。その後、願性は覚心に西方寺を任せ、覚心は真言宗から禅宗に改宗した興国寺の開祖となった。

 川端さんは、大河ドラマの解説も交えながら興国寺の歴史と鎌倉幕府の歴史について詳しく語り、興国寺の火まつりなどを映像で紹介。「文化を学ぶことは歴史を未来へつなぐこと。土俑を担ぐ人も、稚児となる子どもも少なくなっていますが、地域の文化を地元の皆さんに知ってもらうのは大切なこと」と話した。50代の女性は「毎週大河ドラマを観ていますが、これから実朝が成長していくのが楽しみです」と話していた。