紀州みなべ梅干協同組合(殿畑雅敏代表理事)は14日、晩稲の紀州高田果園(高田智史代表取締役)で、梅産業発展の礎を築いた南高梅の母樹に感謝を伝える報恩感謝祭を行った。
南高梅の母樹は1902年(明治35)、高田代表の祖父・高田貞楠さんが苗木を植え育てた「高田梅」がルーツ。31年(昭和6)に小山貞一さんがその穂木を譲り受け栽培が広まり、50年(昭和25)に品種の調査研究に協力した南部高校との関わりで「南高梅」と命名。以降、日本を代表するブランド梅となり、地域の基幹産業に発展した。母樹は長らく気佐藤のJA紀州アグリセンターみなべに移植されていたが、2020年に誕生の地の紀州高田果園へ戻った。
報恩感謝祭は、組合が母樹に感謝を伝える機会にと初めて企画。組合員23人のほか、高田代表、町長代理の西本豊副町長、平喜之うめ課課長も出席した。祭事は須賀神社(西本庄)の前芝弘知宮司が行い、玉串奉てんや母樹に水を注ぐ灌水(かんすい)の儀などが執り行われた。
高田代表は「このような機会をつくっていただき、先人も喜んでいると思います。母樹は樹齢120年以上になりますが、いまも実を付け地域の梅を見守ってくれています」とあいさつ。殿畑代表理事も「私たちがいま豊かな生活ができているのも母樹があったから。これからも、梅に関わる人すべてに感謝の心を伝えていきたいと思います」と述べた。