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草薙の剣 橋本治著

橋本治(はしもと・おさむ) 1948年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。イラストレーターを経て77年「桃尻娘」でデビュー。小林秀雄賞、柴田錬三郎賞、野間文芸賞等受賞。2019年、70歳で他界。

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも描かれた、平家一門が滅んだ壇ノ浦の合戦の際に幼い安徳天皇と共に海に沈んだ三種の神器。その一つ「草薙の剣」をタイトルに冠した本書は歴史小説かと思ったら、大正末期から平成まで100年近くにわたって6家族を追った、壮大な現代小説でした。

 物語 6人の男が、それぞれの場所で同じ不思議な夢を見る。客も店員もいない暗いスーパーマーケットを巡り、出ると街は夜で、看板の影、電柱の影、地階への階段の途中、バス停などに男が一人ずついる。何をするでもなく、ただぼんやり立っている。顔は暗くて見えない。

 62歳の昭生、52歳の豊生、42歳の常生、32歳の夢生、22歳の凪生、12歳の凡生(なみお)はそれぞれに目を覚まし、「なんでこんな夢を見たんだ」と首をひねりながら日常に埋没していく。

 時代はさかのぼり、大正の末近くに生まれ、二・二六事件の年に小学校を卒業して井戸掘り職人の弟子になった昭生の父親の生い立ちから語られ始める。時代が進み井戸掘りから水道工事職人となった父のもとで、兄と昭生は生まれた。田舎で父の仕事を手伝いながら時が過ぎることに我慢できず、兄は上京。成長した昭生もそのあとを追う。しかし都会の暮らしは彼らを必ずしも幸福にはしなかった…。

 6つの年代の男達とその両親、総勢18人が主要登場人物となる、100年の物語。彼らの人生航路を追うカメラは、昭和、平成と移り変わる日本の社会を克明に映し、学生運動、オイルショック、バブル景気とバブル崩壊、阪神大震災、東日本大震災と、読者に戦前戦後の歴史を総括して見せていきます。

 かといって波乱万丈の物語かというとそうでもなく、一人ひとりに訪れるのは受験の失敗、配偶者の浮気、離婚などよくあるトラブル。どこにでもいそうな彼らの日常が淡々と描かれ、それを追ううち、主人公は移り変わってきた日本の世相そのものという気がしてきました。彼らの個人的な不幸に、時代が確実に影を落としている。時代は緩やかに流れながら、いつからかどうしようもない閉塞感を帯びてきた。

 現代の若い世代を苦しめる時代の影は一体どこから生まれたのか。それを検証するため著者が晩年に取り組んだ、壮大な一つの思考実験が本書であるのかもしれません。

 12歳の凡生が初めて自分を取り巻く状況への反撃を見せる場面で、ようやく「古事記」の挿話が語られます。ヤマトタケルが、敵の放った炎を抑えるため草を薙ぎ払った剣。著者が若い世代に、時代の流れに取り込まれるままにならず反撃することへの期待を込めているように思えます。

 近代日本の「負の連鎖」を浮かび上がらせた著者の遺言への答えとして、「正の連鎖」に照準を当てて違う未来を示唆する力強い物語を、誰かに創ってほしいと思いました。(里)

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