10年前の9月5日早朝、避難していた皆瀬坂(日高川町)から下っていった時に目の前に広がった光景に言葉を失くした。普段は美しく清らかな流れの日高川が、まるで獣のような激しい濁流に変貌。紀伊半島大水害である。

 遠くに見える2階建ての自宅は半分ほどまで水没。時間が経って日高川の水量が減っていくにつれ、被害状況が鮮明に。激流で倒壊した家、崩落した橋、陥没した道路などひどいありさま。自宅の中はまるで巨大な洗濯機でも回したかのように、家財道具が渦を巻いて散乱。とりあえず記者として何かしなければと、ただカメラのシャッターを切っていた。

 日高川の水量が減って迅速な復旧活動を始めたのは地元の建設業者だった。道路に堆積した土石を重機で撤去して人や車が行き来できるスペースを確保。集落の孤立状態を解消してくれ、非常に心強い味方だと感じた。自宅の復旧でも本当に多くの方々にお世話になった。水没後の床下にたまった泥の撤去、家財道具の運び出しなどには、日高新報から総出で応援に来てくれ、取材先や知人、親類にも助けてもらった。県外からも多くのボランティアが来てくれたが、コロナ禍で府県間の移動が制限されているいまの状況での被災に比べると、恵まれていたと思う。

 大打撃を受けた産業が完全に元に戻ったとは言えず、被災者や尊い命を失くした遺族らの心の傷はそう癒えるものではない。しかし、支援の手を貸す多くの人のやさしさや思いやり、その行動力が、復興の大きな励みや原動力になっているのも事実。10年の節目にあらためて言葉にできないほどの感謝の思いを伝えたい。(吉)