2度目の東京五輪開催と合わせるように先月文庫化された、あるオリンピックに関する一冊のノンフィクションがある。著者は「深夜特急」などで知られる沢木耕太郎。その書名は「オリンピア1996 冠(コロナ)〈廃墟の光〉」◆単行本の発行は2004年で、タイトルの「コロナ」はもちろんウイルスとは関係がない。本来コロナの意味は「光冠」で、太陽の周りで白く燃える光の環のこと。語源は王冠である。本書でこの言葉は、アテネの古代オリンピックで勝者に贈られた月桂冠になぞらえ、現世のものではない栄光の象徴として使われる。その本が奇しくも、コロナ禍の中での東京五輪が注目されるこの時期、新たに文庫本として出版された◆内容はアトランタ五輪の観戦記だが、著者のこの大会に向ける目は極めて冷ややかである。近代五輪は平和の祭典でなく「テレビのための祭典」となり、商業主義に堕してしまった、その分岐点がアトランタだと見ているからだ。しかし裏を返せば、その冷たい怒りの奥には、アスリートの躍動とひたむきなまなざしによって見る者の胸にすがすがしさを呼び起こす、スポーツの持つそんな純粋なパワーへの渇望があるのではないか◆周辺にどのような思惑が渦巻いていようとも、国境を超えて高みで競い合う最高のスポーツイベントは粛々と準備されつつある。状況は刻一刻と変わり、どういうことが起こるかまったく見えない。2カ月前に本欄で「どうか五輪が無事に開催されますようにと祈る思い」だと書いたが、その思いはより粛然としたものになっている◆地上の価値観とは次元の違う栄冠のため汗を流すアスリート達、そのエネルギーが世界を少しでもいい方向へ突き動かすことを、祈らずにいられない。(里)