本紙戦争体験者の連載で、B29に体当たりする特攻隊員として命を落とした入山稔氏を取材した。これまではご健在の方に取材してきたが、初めて亡くなった方を取材した。

 入山氏は子どものころから飛行兵にあこがれ、航空学校を経て松戸基地に飛行隊員として配属される。軍が考案したB29への特攻を志願。敢行するも、機銃射撃を浴び、19歳という若い命を空に散らせた。

 入山氏については同じ基地にいた原田良次氏が出した書籍に、詳細が記されていた。印象的だったのが隊員たちが特攻任務を家族に明かさなかったこと。「死」という重大な問題に直面しながらも、誰にその苦しみを打ち明けるでもなく、ただ一人で抱え、日々死ぬための訓練を行い、そして死んでいった。19歳の若者がそのような耐え難い日々を送っていたと思うと、心が痛む。

 青春時代を戦争一色で過ごし、無謀な作戦によってその短い生涯を終えた。軍国主義日本の犠牲者とも呼ぶべきだが、戦後36年、入山氏の航空学校の同期生から届いた手紙にはこうつづられている。「(当時のことを)悲劇や無謀という言葉を耳にするが、それは平和になった今の結果論で、私たちは気にも留めない。そうでなければ、心の底から祖国を思い空に散っていった戦友の英霊に申し訳ない」。彼らには犠牲者として憐れむのでなく、勇敢さに敬意を払うことこそが、追悼になるのかもしれない。

 ただ、過去に取材した体験者の中には、同じように「国のため」と戦った兵隊もいたが、皆一様に生きていることに感謝し、平和をかみしめている。入山氏も歯車が一つ違えば、今頃、家族とともに余生を過ごす人生があったかもしれない。そう考えると、やはり若くして空に散った命が不憫でならない。(城)