みなべ町筋、㈱西山代表の西山博康さん(65)が13日、献血200回の節目となり、献血活動を推進している南部ライオンズクラブ(出口幸三郎会長)から記念品が贈られた。姉の心臓病の手術の際、多くの人に血を分けてもらった経験から献血に積極的で、いまでは成分献血を含めて年間10~12回のペースで協力。今後も献血ができる69歳まで続けたいとしている。

 高校生のころ、中学時代の恩師が手術することになり、同級生らで協力しようと初めて献血したのがスタート。以来、約48年間で200回を積み重ねた。

 とくに献血を強く意識するようになったのは、姉の手術のときに多くの人に助けられたから。2歳上の姉は生まれつき心臓病があり、6歳のときに東京女子医大で手術し、さらに20歳のときに再手術を行った。成功率60%といわれる中、無事終了。手術室に入った時、いままで紫色だった唇がピンク色になっていたのをいまでもはっきり覚えている。手術には大量の輸血が必要で、当時、南部川村助役だった山田五良さんの呼びかけで村民ら二十数人が東京へ出向き、輸血してくれた。自身も輸血した西山さんは「本当に多くの人にたくさんの血をいただいた。今度は私がお返しする番」と、それ以来、常に献血を意識して仕事が忙しい中も時間があれば和歌山市の献血ルームで成分献血や400㍉㍑採血を重ねてきた。「姉は24歳のときに大動脈破裂で他界しましたが、手術を終えたあとは、体に羽が生えたように軽いと喜んでいました。手術成功から亡くなるまで幸せな4年間を過ごせたと思います」と献血への協力に感謝の気持ちを強くした。

 若いころより今の方が献血のペースは速くなっており、これからも続けるために健康管理にも気を配る。毎朝1時間ウオーキングし、大好きな酒も17年前に絶った。「献血するおかげで私自身も健康になった。これからも制限年齢まで頑張ります。若い人にもぜひ献血してほしい」と話した。

 南部ライオンズはことし創立50周年を迎えた記念に、奉仕活動の柱である献血に協力してくれる人をたたえようと、出口会長が100回目と200回目の人に記念品を贈ることを発案。西山さんが第1号となった。今後もライオンズ協賛の献血の際、申し出た人に記念品を贈る。出口会長は「たくさん献血してくれる人に敬意を表したいと思い企画した。献血推進の啓発と献血者の励みに少しでもなってくれれば」と話している。

写真=献血する西山さんをねぎらう出口会長㊨