日高町教育委員会主催、天路山城(比井城)跡の発掘調査説明会が12日、比井の現地で開かれ、町内外から参加した約50人が戦国時代の山城跡に思いを馳せた。

 集落道整備事業に伴う調査で、場所は比井小学校から西へ約100㍍。県埋蔵文化財センターが10月28日から11月29日まで約1カ月間、屋敷があったと推定される「土居」から城の主郭までの中間にある平坦部(360平方㍍)を中心に調査した。

 同城は御坊市の亀山城、日高川町の手取城に次ぐ日高地方で3番目の規模。戦国時代、紀中地域を支配した湯河氏によって築城されたといわれている。比井浦の沿革をまとめた「古今年代記」によると、亀山城主の湯河直春の従弟である湯河弘春が城主とされる。

 現地説明会の講師は調査を行った文化財センターの濵﨑範子技師で、「本来の尾根状の岩盤地域を人工的に削り出し、土を厚く盛って作られた曲輪(くるわ)が確認された」などと説明した。曲輪は登城ルート上に位置し、戦時は見張り場や防御に使用されたと考えられ、平時は山麓から主郭までの通路や物資搬入の中継地点としての役割があったことが推測されるという。遺物では近世の茶碗などの陶磁器を中心に瓦、硯が見つかったほか、中世に使用された瓦器椀の破片も発見された。

 集落道整備は比井小学校北側から比井漁港西までの約1㌔で、2014年度に着工。昨年には工事に関わる文化財保護法違反が指摘されたが、町では今回の調査を受けて整備する集落道のルートを一部で変更させ、来年度から未改良となっている約350㍍区間の工事に取りかかる。

写真=現地の城跡を見学する参加者