最近、日露戦争をテーマにした「二百三高地」という1980年の日本映画を観た。日露戦争と言えば日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破って勝利した印象だったが、当時の日本とロシアにはかなりの戦力差があったことが描かれていた。人口では日本の3倍、歳入は10倍、兵力は15倍もロシアの方が多い。そんな強国相手に日本は勝利を収め、映画では旗を振って喜ぶ国民の姿が描かれていた。この勝利が日本を活気づけ、米国という大国相手の太平洋戦争でも、多くの国民は勝利を疑わなかったのだろう。

 今年も本紙では「終わらざる夏」と題し、戦争経験者を紹介している。1945年の終戦から74年。戦時中の記憶が残っている世代も若くても90歳前後と高齢になってきた。戦争を経験していても会話できる状態でない人もいるなど、経験者を探すのも難しくなってきた。

 そんな中、筆者は少年時代に飛行兵を目指して試験に挑み、また学徒動員で名古屋空襲を経験した男性を取材した。一面火の海の名古屋市、その中で炎上する名古屋城をぼうぜんと眺めていた話など、想像を絶する話を聞かせてもらった。

 印象的だったのは、戦争を通じて感じたことは「終戦で家の電球を覆っていた黒いカバーを外し周囲が明るくなった瞬間、やっと終わったとホッとした」と話したこと。軍国主義のもと国のために尽くしながらも、行動や言動などあらゆるものが規制され、肉親を失い、食べるものもなく、敵の空襲におびえる生活に疲弊しきっていた戦時下の人たちの本心なのだろうと感じた。

 戦争経験者の声を聞けるのもあと数年。経験者だからこそ語れる、戦争の真実を、紙面やネットに少しでも残し、後世に伝えていきたい。(城)