平成27年度第3回市民教養講座は11日、御坊市民文化会館大ホールで開講。「ヤマヒロ」の愛称で親しまれるフリーアナウンサーの山本浩之さんが「日々新たな出会い、発見」をテーマにアナウンサー人生を語った。番組の中でかつらの使用を自ら明かし話題となった山本さんは、当時の裏話などをユーモラスな口調で披露。爆笑を誘った。阪神淡路大震災・東日本大震災被災地の取材経験から得た教訓なども訴え、大きな拍手が送られた。
 現在、毎日放送のバラエティー番組「ちちんぷいぷい」に出演している山本さんは、「ロケでよく和歌山県にはくるんですよ。お世話になっています」と満席の観客に笑顔であいさつし、関西テレビ社員としてスタートしたアナウンサー人生を振り返った。「競馬の神様」と呼ばれていた関西テレビの杉本清アナウンサーに憧れ、競馬の実況中継がしたいと関西テレビに入社。 駆け出しの頃、初めて残業を命じられた。野球中継が途中で終わったことへの苦情電話の対応で、激怒している相手に「サンテレビならまだやってますよ」と教えると、相手の自宅は新宮市。見られないためさらに怒りをあおることになり、仕方がないのでモニターを見ながら電話で実況し、「タイガース、からくも逃げ切りました」と終えると相手は「バンザーイ」と大喜び。「こんなん初めて。ええ思い出になるわ。あんたしゃべるんうまいからアナウンサーになったらどうや」と上機嫌で電話を切った。「それがぼくの初めてのプロ野球中継でした。あんなに怒っていた相手が自分の言葉で感動してくれた。いいもんだなと思いました。一人でも感動してもらえる放送をしたい。顔も名前も分かりませんが、あの新宮のおっちゃんがぼくのアナウンサーとしての原点です」と振り返った。
 「FNNアタック600」のキャスターに抜擢され、「若々しくない」といわれたためかつらの使用を始めた。関空が開港した時、滑走路の上から中継することになったが、相当な強風が吹く。かつらが飛ばないか心配していると、メイク担当者が整髪料でガチガチに固めてくれた。「いざ始まると、女性アナウンサーは髪をなびかせ、手元の原稿の紙もバタバタ風にあおられているのに、ぼくの髪だけ微動だにしません」と臨場感たっぷりに語り、爆笑を誘った。
 平成7年の阪神淡路大震災、23年の東日本大震災の取材経験を語り、「今まで一度もけんかしたことがなかった夫婦がたまたまその日の朝言い争いになり、そのまま別れて夫の方が津波の犠牲になった、という例もある。天災は30年後、50年後かもしれないが、5分後かもしれない。起きないにこしたことはないが、起きてしまった時のことを常に考えておくべき。被害者ゼロへ、どれだけみんなが頑張れるかが大事。緊張感を持って動いてもらえるように、行政にも厳しい視線を注いで」と訴えた。
 会場を埋め尽くす観客は"ヤマヒロ"の語り口を楽しみ、かつらを取った放送を思い出しながら「あの時はびっくりしたなあ」など話し合っていた。