由良町中央公民館で開かれた、和歌山室内管弦楽団のサマーコンサートを取材した。初の試みで、すべて昭和歌謡である
 筆者の小学生時代、存命ならことしで米寿だった父はよくテレビの懐メロ番組にチャンネルを合わせ、古賀メロディーや田端義夫の曲に聞き入っていた。筆者はそれらに特に興味を持たず、世代相応にいわゆるニューミュージックや海外ポップスなどを聴いて大きくなったが、今回、歌に耳を傾けるうち当時の記憶が甦ってきた。うたおうと思えば一緒にうたえるくらいよく覚えていることに、自分でも驚いた。帰りの車中ではプログラムになかった「赤いランプの終列車」「柿の木坂の家」なども口ずさみたくなったほどだ
 歌手を務めた方々にはクラシックや合唱などの活動をしている人もおり、格調高いうたいぶりが各曲の持つ詩情を際立たせていた。「影を慕いて」「白い花の咲く頃」の悲しみを帯びたメロディーラインが、当時の父に近い年齢になって初めて心にしみじみ染み通ってきた
 日本の音楽は実に豊かな歴史を持つ。古代には大陸から伝わった雅楽、中世には能楽など、江戸期には鎖国のため日本独自の長唄などが発展。そして明治維新で西洋音楽と出会い、近代音楽が生まれるのだが、民謡の音階を取り入れた哀調ある歌謡曲は、西洋文化に親しみながらも古来の日本人としての感性を豊かに持つ昭和初期の人々の心を捉えたのだろうか
 などという理屈はさておき、今回のコンサートは筆者も含めた観客を心から楽しませてくれた。「青い山脈」「高校三年生」の出だしなど、客席から自然に歌が湧き起こってくるようだった。心に理屈抜きのうるおいを与える。これが、音楽というものの持つ底力なのだろう。    (里)