日本に住み、日本の小学校に通いながら、ある日、自分の国籍が日本でないと知った女の子。父親に、「なぜいままで本当のことを教えてくれなかったの?」と泣いて聞いたが、「お前がもっと大きくなってからいうつもりだった」。女の子は親友にだけ打ち明けた。「だれにもいわんといてね」「うん、分かってる」。
 次の日、学校に行くと、教室の空気がどこかおかしい。友達がよそよそしく、「どうしたん?」と顔をあげると、黒板に大きな字で「○○は○○人」と書かれていた。自分が日本人でないことをみんなに知られた、それ以上に、親友だと信じていた子に裏切られたことが悲しかった。
 話は変わり、いわゆる従軍慰安婦問題の河野談話。その作成過程を検証した政府の報告書が20日、衆院予算委員会理事会に提出された。実態が明るみになった両国政府の事前調整は、軍による慰安婦募集の「強制性」の表現が大きなポイント。被害者イメージを強調したい韓国側の要求、それに対する日本側の配慮の結果、そして河野氏の強制性があったと断じた発言がいまの関係につながっている。
 河野談話はすでにレームダックだった宮沢内閣の総辞職前日、なし崩し的に発表された。日本側はなぜ、軍による強制連行の証拠がないにもかかわらず、聞き取り調査結果の裏付けもせず、強制を認め、謝罪したのか。韓国側から「日本政府が強制を認めれば、今後二度と韓国政府はこの問題で金銭的補償を求めることはない」といわれたからだという新聞、言論人も少なくない。
 親友とまではいかずとも、友達のことを思いやり、信じて配慮を重ねた結果、裏切られたうえに責め続けられている日本。国際社会に向けてはっきりと、否定すべき点を否定しなければならない。   (静)