今月10日、全国紙の1面に考古学者で同志社大学名誉教授、森浩一氏の訃報が掲載された。古墳研究の第一人者といわれ、御坊市にある岩内1号墳の被葬者が有間皇子であるとの説を立てた人物だ。
 各紙とも社会面で詳細に人物像が解説されていた。権威に屈しない反骨精神の持ち主。賞などは受けないことに決めていたが、昨年の南方熊楠賞だけは市民による賞だからと唯一受けることにしたという。それらの書きぶりから、考古学界で如何に大きな存在だったか、如何に多くの人に愛されていたかがうかがえた。
 筆者が氏の姿を目の当たりにしたのは昨年11月。御坊市教委主催のシンポジウムで、記念講演の講師が森氏だった。病をおしての講演で発声も難しい状態だったとのこと。最前列近い席で、全身を耳にして聞き入った。語られるリズムや癖に耳がなじむと、水が砂に染み込むようにその内容が伝わってくる。御坊市の考古学研究家の故巽三郎氏宅を訪れ、銀装の太刀など畳の上にびっしりと並べられた岩内古墳遺物を目の当たりにした時の興奮が語られた時には、その情景が目の前に浮かび上がる気がした。その印象は今も鮮烈に残っている。
 中学生時代に見つけた須恵器の破片が古代を学ぶ入り口となったことなども、講演では語られた。カメラでクローズアップした氏の瞳は生き生きと明るく少年のようだった。本紙で「有間皇子の謎」を連載する、岩内1号墳の元の持ち主東睦子さんから、無理をしてでも、御坊の地で御坊の人々の前で語りたいとの情熱を持っておられたことを伺った。
 「考古学は地域に勇気を与える」が口ぐせだった森氏。岩内の地に眠る古代からのメッセージを、氏の情熱を受け継ぎながら考えていきたいと思っている。 (里)