季節ごとの花や木々を眺めるのが好きだ。今の時季なら桜やカエデの紅葉にイチョウの黄葉、かれんな野菊やツワブキ。日本の四季を彩る植物は、それぞれに独自の物語を持っている。そう教えてくれたのが本紙の連載随筆、書家弓場龍溪氏の「弓庵つれづれ書画話」。書と絵がそろった贅沢な連載だ。
 初めてお会いしたのはもう10年以上も前になるが、当時勤められていた高校の書道準備室にはいつも書だけでなく、愛らしい花などの絵が飾られていた。自身で描かれたとのちに知り、驚いた。30歳ぐらいの頃、池大雅の千字文の臨書に取り組んだのが絵を始めたきっかけだったという。大雅は文人画家として知られるが、元々は書家だったとのこと。書も絵も、芸術はすべて人が世界に接して受けた感動のかたち。一人の人物が生み出した作品ならどんな形式でも同じ根から育って開いた花だ。
 コスモスの繊細で複雑な葉や茎のからまりなど、氏の描いた花や魚の絵からは「見つめる」という行為の持つ力を感じる。対象の命の一部が紙にそのまま宿ったようだ。「檸檬(れもん)」の梶井基次郎に「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分、或は全部がそれに乗り移るのだ」という一文があるのを思い出す。
 23日から25日まで、日高町農村環境改善センターで氏の日高町文化賞記念の作品展が開かれる。紙面を彩ってくれた色紙絵などのほか、池大雅の千字文の臨書も展示される。千字文とは1000の異なった文字を使って詠まれた漢詩。こんな機会でなければ鑑賞できない大作だ。全150点以上、時間をかけて見て回れば広大な別天地を探検できるようで、取材の立場を離れて楽しみにしている。
       (里)