御坊は大阪、淡路にも負けない文楽のまちだった!?。地域観光学を研究する立命館大学の学生が28日、御坊を訪れ、昭和30年代まで劇場やお寺で盛んに行われていた文楽 (人形浄瑠璃)の歴史を調査。地域の古老らから話を聞いたりするなかで、いまでは地元の人でさえ知らないかつての古典芸能の隆盛ぶりが浮かび上がった。
 学生は、 10月6日に大阪で開催される人形浄瑠璃フォーラムで研究発表を行う立命館大の大島知典さん (21) ら3人。 文楽に関して和歌山県には唯一、 日高川町の道成寺の 「道成寺物」 が伝わるだけで、 これといった有名な地域資源は残っていない。 大島さんらは観光に結びつけることなどをテーマとし、 和歌山県内の文楽について調査を始めた。
 御坊には幕末から明治にかけて活躍した三代目豊竹君太夫がおり、 中町の茶免地蔵の前に顕彰碑が建てられている。 地域の歴史に詳しい松原通りの呉服店経営大谷春雄さんによると、 御坊では昭和30年代まで劇場や旅館、 お寺で盛んに文楽が演じられ、 28年には御坊小学校講堂で義太夫北野吉太郎氏の公演があり、 10年後には日高別院で吉太郎氏の追悼公演が行われた。 「文楽は近松門左衛門など人情物のイメージがありますが、 実際には合戦物などもっと楽しく明るい話が多かった。 御坊でも50年代初めまで御坊浄瑠璃協会がありましたが、 新しい娯楽の波にのまれてしまったんでしょう」 という。
 大島さんらはこの日、 昭和の初め、 日吉座などで活躍した義太夫西下権蔵氏の孫で、 吟詠家の木村洪平さん(48)=御坊市薗=から、 義太夫の一節を聞かせてもらい、 大島さんは 「修学旅行生が道成寺を見学し、 御坊の寺内町を巡り、 文楽の香りにふれる体験観光なんかもいいですね。 フォーラムでは文楽のまち御坊のPRもできれば」 と話していた。