11月の米国大統領選に向け、現職のバイデン氏(民主党)と再選を目指すトランプ氏(共和党)の舌戦が過熱しています。4年前のバイデン政権誕生以降、前トランプ政権時に強化された国境警備は緩和され、移民の流入が加速。昨年9月まで1年間のメキシコからの入境は過去最多の240万人をかぞえ、バイデン氏は以前の緩和政策を転換し、共和党に同調する形で国境警備を強化、国境の一時封鎖を可能にする法案をまとめました。

 この法案は、ウクライナ支援の予算承認とのバーターでしたが、大統領返り咲きを狙うトランプ氏はここにきて「法案を成立させれば民主党に有利になる」として、共和党議員に審議拒否を迫っているとか。米国の移民政策は、81歳と77歳のおじいちゃん対決の勝敗を左右する大きな争点となっています。

 前置きが長くなりましたが、今回紹介するこの本は、米国に隣接するカナダで暮らす日本人作家の初めてのノンフィクション。2021年、コロナ禍の真っただ中、滞在先のバンクーバーで浸潤性乳管がんを宣告された著者が、がん発覚から治療を終えるまでの約8カ月間が描かれています。治療への恐怖と絶望、家族や友人たちへの溢れる思いと、時折訪れる幸福と歓喜の瞬間。文体は過去の作品からも想像できるように、ジャズ歌手の綾戸智恵のような大阪のおばちゃんのノリですが、言葉も文化も違う異国での病との闘いを通じて、移民の国の公平さと自由さ、それゆえの厳しさ、人に対する優しさが臨場感たっぷりに伝わってきます。

 バンクーバーは、かつて美浜町から多くの人が海を渡り、フレザー川のサケ漁で日本人移民のコミュニティーを築いたスティーブストンと同じブリティッシュ・コロンビア州の大都市。最近、よく耳にする「多様性」という言葉がぴったりで、実際にダウンタウンを歩いてみても白人は4割、6割はアジア系とアフリカ系で、とくにインド人の多さに驚きます。

 ニューヨークが自らの文化を放棄して溶け込む「メルティングポット(坩堝)」なら、バンクーバーはみんなが自分たちの文化を持ち寄り、互いを尊重し、そのままでいられる「モザイク」だ。この本で著者が紹介する旅行のガイドブックにでも出てきそうなこの言葉も、裏を返せば日本に住む日本人のようなお気楽さでは生きていけないということが、著者の闘病の日々をみればよく分かります。

 すべての人に優しくも厳しい移民の国で、もし自分ががんを患ったならどうするだろうか。お金がない、友達もいない、なによりも言葉がおぼつかない。考えるまでもなく、日本へ帰国し、日本の病院で診てもらうことを選ぶかもしれません。それはそれで正しいと思いますが、彼女は日本へ帰らず、異国の家族と友人に支えられながら、病気に立ち向かいます。生きる力が半端ではありません。(静)